壱岐と対馬の文化が紡ぐ国境の物語―歴史が息づく島々の魅力

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九州と朝鮮半島の間に浮かぶ壱岐と対馬。「国境の島」として知られるこの二つの島は、古代から現代まで独自の文化を育んできました。日本遺産にも認定されたこの地には、大陸との交流が生んだ特別な歴史と文化が今も息づいています。一度訪れると、きっと「ここは日本の他の場所とは何かが違う」と感じるはずです。今回は、壱岐と対馬の文化の魅力を、私なりの視点で掘り下げてみたいと思います。

弥生時代から続く国際交流の最前線

壱岐と対馬の文化を語る上で欠かせないのが、その地理的な特殊性です。対馬から韓国の釜山までは、なんとわずか49.5kmで、天気の良い日には、対馬から釜山の街並みが見えるというのですから驚きです。

壱岐の原の辻遺跡は、約2200年前の弥生時代の環濠集落跡です。ここからは中国製のトンボ玉や朝鮮半島系土器、それに日本国内唯一の人面石まで出土しています。当時の壱岐が「一支国」として、東アジアの交易拠点だったことを物語る重要な証拠なのです。

ちなみに、魏志倭人伝にも記述があるこの遺跡、実際に訪れてみると復元された高床式建物が広がっていて、タイムスリップしたような不思議な感覚を味わえます。教科書で見るのと実際に足を運ぶのとでは、全く印象が違いました。弥生時代の人々の息遣いまで感じられる、そんな場所です。

一方、対馬では663年の白村江の戦い後に築かれた金田城が有名です。これは朝鮮式山城で、複雑な海岸線と断崖を利用した天然の要塞でした。国防の最前線として機能していたこの城跡に立つと、遠く東国から送られてきた防人たちの望郷の念が、今でも伝わってくるようです。

大陸と日本が混ざり合う―島の食文化

壱岐と対馬の文化を語る上で、食は絶対に外せません。ここの食文化こそが、この島々の歴史を最も分かりやすく体現していると言ってもいいかもしれません。

対馬の「とんちゃん」は、朝鮮半島と九州の食文化が融合した象徴的な料理です。在日韓国人が伝えた本場の味を、日本人好みにアレンジしたもので、今では対馬のソウルフードになっています。しかも、それをバンズに挟んだ「とんちゃんバーガー」などは、もはや国境を越えた創造性の結晶でしょう。

対州そばも面白い存在です。原種に近い品種で作られるこの蕎麦は、小粒で風味が強く、種の島外持ち出しが制限されているため「幻のそば」と呼ばれています。要するに、対馬に行かなければ味わえない。こういう地域限定の食文化も、旅の大きな魅力だと感じています。

壱岐も対馬も、イカが絶品なのです。特に壱岐で水揚げされるケンサキイカは有名で、胴長35センチを超えるものは「壱岐剣(いきつるぎ)」というブランド名がつくほどです。新鮮なイカの刺身は無色透明で、噛むほどに甘みが広がります。夜の漁火を眺めながらイカ料理を楽しむ、なんて最高の贅沢かもしれません。

それから壱岐の名物といえば、麦焼酎です。実は壱岐は麦焼酎発祥の地とされていて、大陸から伝わった蒸留技術を取り入れて発展してきました。島内には複数の酒造があり、それぞれが独自の味を追求しています。

朝鮮通信使が残した文化の架け橋

江戸時代、朝鮮通信使が対馬を訪れていたことをご存知でしょうか。豊臣秀吉の朝鮮出兵で国交が断絶した後、対馬藩は必死に朝鮮との関係修復に努めました。対馬にとって、朝鮮との貿易は経済の生命線だったからです。その努力が実を結び、約200年間で12回もの朝鮮通信使来日が実現しました。

これは世界史的に見ても稀有なことで、隣国同士が長期間にわたって平和的関係を築いた例なのです。当時の対馬藩は、朝鮮通信使を迎えるために金石城を整備し、立派な庭園まで造りました。異国の華やかな衣装をまとった通信使の行列は、沿道に並ぶ人々を魅了したそうです。

面白いのは、対馬藩の儒者・雨森芳洲と朝鮮通信使の製述官・申維翰の話です。二人は旅の途中、何度も衝突しながらも、最終的には涙を流して別れを惜しんだと記録されています。「互いに欺かず、争わず、真実をもって交わる」という「誠信の交わり」の精神は、現代の国際交流にも通じる大切な考え方ではないでしょうか。

今でも対馬では朝鮮通信使行列を再現するイベントが行われていて、当時の様子を体感することができます。対馬高校には韓国語や韓国文化を学ぶ国際文化交流科があり、若い世代が国際交流の基礎を学んでいるのです。歴史が途切れることなく、現代に受け継がれているのです。

独特な生態系と民俗文化が共存する島々

壱岐と対馬の文化を語る上で、自然環境も無視できません。特に対馬は、島の89%が森林という驚異的な自然豊かさです。そこには、ツシマヤマネコや対州馬、アキマドボタルなど、対馬でしか見られない固有種が生息しています。

こうした自然環境の中で育まれてきた民俗文化も独特です。対馬の豆酘(つつ)地区では、古代米の一種である赤米を神田で栽培し、その赤米を御神体とする神事が今も続いています。宮中祭祀「新嘗祭」に奉納したこともあるというのですから、その歴史的価値の高さが分かります。

対馬の「亀卜(きぼく)」という習俗も興味深いです。これは亀の甲羅を焼いて吉凶を占う古代の占いで、今でも豆酘地区で受け継がれています。こういった古代からの習俗が途切れることなく伝わっているのは、本当に貴重なことだと思います。ちなみに、対馬ではニホンミツバチの養蜂も伝統的に行われていて、対馬蜂蜜は独特の風味で人気があります。

逆に、壱岐には島全体で約280基もの古墳があります。これは長崎県全体の約6割にあたる数です。なかでも壱岐古墳群は国の史跡に指定されていて、多くの古墳では実際に石室内に入って見学することができます。笹塚古墳からは金銅製の亀形飾金具など豪華な馬具が出土しており、当時の壱岐がいかに重要な拠点だったかを物語っています。

自然環境と人々の暮らしが、長い時間をかけて築き上げてきた文化、それが壱岐と対馬の魅力なのかもしれません。

日本遺産が照らす島々の未来

2015年、壱岐・対馬・五島の文化財が「国境の島 壱岐・対馬・五島~古代からの架け橋~」として日本遺産に認定されました。これは文化庁が始めた日本遺産制度の、まさに認定第1号。その意義は計り知れません。

対馬からは13件、壱岐からは10件の文化財が構成要素となっています。金田城跡、対馬藩主宗家墓所、原の辻遺跡、壱岐古墳群など、それぞれが物語る歴史は深く、多層的です。日本遺産認定によって、これらの島々への注目度は確実に高まりました。でも、まだまだ知られていない魅力がたくさんあるような気がしています。

おそらく、多くの人にとって壱岐や対馬は「遠い島」というイメージかもしれません。実際は、福岡空港から対馬空港まで飛行機でわずか30分です。博多港からは高速船で2時間ほどです。思っているよりずっとアクセスしやすいのです。週末にふらっと訪れることも十分可能な距離です。

壱岐市立一支国博物館は「しまごと博物館」というコンセプトで運営されていて、島全体を一つの博物館と捉えています。つまり、博物館で展示を見るだけでなく、島内の史跡や文化財を実際に巡ることで、壱岐の歴史が完結するという壮大なスケール。こういう試みを、面白いと思いませんか。

対馬でも、島内各地に残る史跡や自然を活かしたエコツアーが人気です。シーカヤックで浅茅湾を巡ったり、白嶽や金田城跡をトレッキングしたりします。歴史と自然を同時に体感できる贅沢な時間が待っています。余談ですが、対馬の夕暮れ時の景色は本当に格別で、一日の疲れを癒してくれる特別なものがあります。

国境の島が教えてくれること

壱岐と対馬の文化は、決して過去の遺産ではありません。古代から続く大陸との交流、国防の最前線としての歴史、独自の食文化や民俗文化、これらすべてが今も息づき、島の人々の暮らしに溶け込んでいます。

「国境」という言葉は、時に分断や対立を連想させるかもしれません。でも、壱岐と対馬が示してくれるのは、国境が同時に「つながり」でもあるという事実です。融和と衝突を繰り返しながらも、連綿と続いてきた交流の歴史です。それは、現代を生きる私たちにも大切なメッセージを伝えているような気がします。

もし機会があれば、ぜひ一度、壱岐か対馬を訪れてみてください。そこには、教科書では学べない生きた歴史と文化があります。そして、日本の他の場所では決して味わえない、特別な体験が待っているはずです。

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