「明太子といえば博多」というイメージが強いですよね。でも実は、辛子明太子の歴史を辿ると、もっと複雑で面白いストーリーが見えてきます。韓国で生まれ、山口県下関で進化し、福岡で全国区になった明太子。その発祥の真実を知ると、いつもの明太子がちょっと違って見えるかもしれません。今回は、意外と知られていない明太子のルーツと、各地域が担った役割について掘り下げてみます。
明太子の原型は朝鮮半島の家庭料理だった
明太子発祥を語るとき、避けて通れないのが朝鮮半島の存在です。17世紀から18世紀にかけて、朝鮮半島ではスケトウダラの卵巣を唐辛子やニンニクで漬け込んだ「明卵漬(ミョンナンジョ)」という食品が庶民の間で広まっていました。これが辛子明太子の原型。ただ、当時のものは発酵させて作る保存食で、今の明太子とはかなり違う味わいだったようです。
塩辛くて、唐辛子の辛さも強烈。それでも、ご飯のお供やお酒の肴として、朝鮮半島の食卓には欠かせない存在でした。面白いのは、スケトウダラを韓国語で「ミョンテ」と呼ぶところから「明太」という漢字が当てられ、その卵だから「明太子」になったという説。言葉の由来を知ると、なんだか親近感が湧きますね。
ちなみに、この唐辛子自体も、実は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に日本から持ち込まれたという説があります。食文化って、思った以上に国境を越えて行き来しているんですね。
日本で最初に明太子を商品化したのは下関だった
明治時代、会津藩士の息子だった樋口伊都羽という人物が朝鮮半島に渡り、漁業に従事するようになります。彼はスケトウダラの卵がほとんど捨てられているのを見て、「これはもったいない」と商品化を思いついたそうです。
1907年、樋口は釜山で「明太子製造元祖」という看板を掲げて商売を始めました。これが記録に残る最初の明太子販売。当時は関釜連絡船を通じて下関へ運ばれ、そこから日本各地に広まっていったんです。下関が重要だったのは、地理的に朝鮮半島に最も近い港だったから。鉄道設備も十分じゃなかった時代、必然的に下関が明太子やたらこの取り扱いに長けた街になっていったわけです。
正直、私も調べるまで知りませんでした。とはいえ戦争が始まると、この流れは止まってしまいます。終戦後、朝鮮半島から引き揚げてきた人たちが「あの味をもう一度」と再現を試みたのが、戦後の明太子復活の始まりでした。
福岡・博多で生まれた「漬け込み型」が明太子を変えた
1949年1月10日。福岡市の中洲で「ふくや」という小さな食料品店が開業しました。創業者の川原俊夫さんは、幼少期を朝鮮半島で過ごし、明卵漬の味を知っていました。ただ、そのまま売っても日本人の舌には辛すぎて受け入れられない。川原さんは試行錯誤を重ね、発酵させずに調味液に漬け込む製法を開発します。
これが現代の「辛子明太子」の始まり。実に10年近くかけて完成させたといいますから、相当な情熱ですよね。驚くのは、川原さんが製法の特許を取らなかったこと。「漬物に商標はあるか?誰が作ってもいいじゃないか」と、教えを請う人には惜しみなくレシピを公開したそうです。
おかげで福岡市内に明太子メーカーが次々と誕生し、競争による品質向上と多様化が進みました。1975年、山陽新幹線が博多まで開通すると、明太子は一気に全国区へ。駅や空港で「博多名物」として売り出され、今では誰もが知る福岡の代表的な特産品になったわけです。ある意味、川原さんの太っ腹な判断が明太子ブームを作ったとも言えるでしょう。
で、結局どこが発祥なの?
結局どこが発祥なのか。これ、実は答え方次第なんです。
原型となる「明卵漬」が生まれたのは間違いなく朝鮮半島。商品として最初に販売されたのは朝鮮半島の釜山で、それを日本に持ち込む窓口になったのが下関。そして戦後、塩漬けたらこに唐辛子をまぶす「まぶし型」を作ったのも下関です。一方、調味液に漬け込む現代スタイルの辛子明太子を開発し、全国に広めたのは福岡。
要するに、どの段階を「発祥」と見るかで答えが変わってくるんですよね。韓国が「原点」、下関が「日本での発祥地」、福岡が「現代明太子の発祥地」という整理が一番しっくりくるかもしれません。そういえば、関東では「明太子」といえば辛子入りを指しますが、関西では普通のたらこも「明太子」と呼ぶことがあるそうです。
地域によって呼び方も違うなんて、日本の食文化の面白いところですよね。それと、今は「たらこスパゲッティ」に明太子を使うのも当たり前になってますが、これも日本独自の進化。食文化って生き物みたいに変化し続けるものなんだなと実感します。
各地の明太子、食べ比べてみると面白い
発祥の歴史を知ったら、やっぱり食べ比べてみたくなりますよね。下関と福岡、それぞれの明太子には特徴があります。
下関の老舗「イリイチ食品」の明太子は、昔ながらの製法を守りつつ、現代の味覚に合わせてほんのり甘みを加えたもの。職人が手作業で丁寧に作っているそうで、皮が薄くて食感がいいのが特徴だとか。工場直売所では出来立てが買えるらしいので、下関に行く機会があればぜひ立ち寄ってみてください。
あと、福岡の明太子は各メーカーが独自の調味液を開発していて、味のバリエーションがすごく豊富。辛さ控えめのものから激辛まで、好みに合わせて選べます。ふくやの「味の明太子」は元祖の味を守り続けていますし、福さ屋や島本などもそれぞれ個性があって面白い。最近は通販でも買えるので、食べ比べセットなんかを取り寄せてみるのもいいかもしれません。同じ「明太子」という名前でも、こんなに違うのかって驚くと思いますよ。
明太子の旅路を知ると、味わいも深くなる
明太子の発祥を辿ると、韓国で生まれた家庭料理が、下関を経由して日本に根付き、福岡で進化を遂げて全国に広まったという、まさに食文化の旅路が見えてきます。どこか一つが欠けても、今の明太子はなかったでしょう。
そう考えると、朝食のご飯にのせる一切れの明太子にも、歴史とドラマが詰まっているんですね。次に明太子を食べるときは、ぜひこの背景を思い出してみてください。いつもとちょっと違った味わいになるかもしれませんよ。発祥論争はともかく、おいしい明太子に感謝、ですね。

