「どんたく」というのは、なんだか不思議な響きがします。博多の人にとっては当たり前すぎる言葉かもしれませんが、よく考えると日本語っぽくありません。実はこの言葉、オランダ語が由来なんです。約840年も続く伝統行事に、なぜ西洋の言葉が?その背景には、明治時代の禁止令と復活劇、そして博多商人のしたたかさが隠されています。毎年200万人が集まる日本最大級の祭りの意味を知れば、パレードを見る目も変わってくるはずです。
「どんたく」の由来は意外にもオランダ語だった
博多どんたくの「どんたく」は、オランダ語の「Zondag(ゾンターク)」から来ています。意味は「日曜日」や「休日」です。
最初これを知ったとき「オランダ?なんで?」と思いました。博多の伝統行事なのに、なぜ西洋の言葉なのでしょう。実はここに、明治時代の面白いエピソードがあるのです。
もともと「博多松囃子(まつばやし)」という正月行事だったこの祭りは、1872年(明治5年)に突然禁止されてしまいます。理由は「金銭の浪費」と「文明開化にそぐわない」という、いかにも明治政府らしいものでした。山笠も同時に禁止されました。
ただ、博多の人たちは諦めなかったのです。1879年(明治12年)、紀元節のお祝いとして祭りを復活させるのですが、そのとき「松囃子」とは呼べなかったので、当時の流行語だった「ゾンターク(休日)」から「どんたく」という新しい名前をつけました。一種の知恵というか、したたかさを感じます。
ちなみに「半ドン」って言葉、聞いたことありますか?土曜日の午前中だけ学校や仕事があった時代の呼び方です。これも「半分どんたく」が由来なのです。要するに「どんたく」という言葉自体は、かつて全国的に使われていたけど、祭りの名前として残ったのは博多だけ、というわけです。
本当のルーツは840年前の「博多松囃子」
「どんたく」は明治以降の呼び名ですが、祭りそのものの起源は1179年(治承3年)まで遡ります。これが「博多松囃子」です。
平重盛という平家の武将が博多に港を造るなど善政を敷いたことへの感謝として始まった、と貝原益軒の『筑前国続風土記』に記されています。福神、恵比須、大黒天の三福神が馬に乗り、稚児を伴って市中を祝って回ります。この形式は今も変わっていません。
江戸時代になると、正月15日に福岡城の藩主を表敬訪問する年中行事として定着します。
面白いのは、三福神と稚児だけではなく、博多の商人や町人たちが思い思いの仮装で行列に加わったことです。これを「通りもん」と呼んだそうです。ちなみに博多の有名なお菓子「博多通りもん」も、ここから名前を取ってるのです。ご存知でしたか?
藩主への表敬が終わると、一行は神社仏閣や有力者の家を回って祝いの芸を披露します。お返しに酒や食事が振る舞われ、ある意味無礼講で楽しめる特別な日だったわけです。これが明治の禁止令まで約700年も続きました。
2020年に博多松囃子は国の重要無形民俗文化財に指定されています。単なる観光イベントではなく、本物の伝統文化なのです。
終戦直後の復活劇が今に繋がっている
明治に一度復活したどんたくですが、昭和に入ってまた危機が訪れます。太平洋戦争です。1938年を最後に祭りは中断します。福岡の街は空襲で焼け野原になってしまいました。
とはいえ、終戦のわずか(1年)9ヶ月後、1946年5月24日のこと、瓦礫の街で「博多復興祭」として松囃子が復活しました。肩衣は紙で作り、馬はハリボテ、三味線や太鼓は戦災を免れた家から借り集めて、とすべて「借り物」での復活でした。
おそらく、楽器も衣装も満足に揃わなかったのでしょう。それでも祭りをやろうとした人たちの気持ちを想像すると、なんだか胸が熱くなります。瓦礫の街に響く「ぼんち可愛いや」の三味線と太鼓、これが人々に大きな勇気を与えたと言われています。祭りはただ楽しむだけではないのです。生きる力を取り戻すためのものでもあるのです。
1949年からは、新憲法を祝って5月3日・4日の開催になりました。これが現在まで続いています。1962年には「福岡市民の祭り振興会」が結成され、正式に「博多どんたく港まつり」という名称になりました。ここから市民総参加型の祭りとして、規模も知名度も急拡大していきます。
どんたく隊は現在650団体、出場者3万3000人、観客200万人、ゴールデンウィーク期間の動員数では弘前さくらまつりと並んで日本トップクラスです。
しゃもじを持つ理由と「市民参加」の心
博多どんたくを見たことがある人なら、みんながしゃもじを叩いて歩いているのを目にしているはずです。あれ、なぜしゃもじなのでしょうか?
伝承によれば、昔、商家の前をどんたく囃子が通りかかったとき、夕食の支度をしていた女将さんが音色に浮かれて、手にあったしゃもじを叩きながら行列に飛び入り参加したのが始まりといわれています。本当かどうかは分かりませんが、いかにも博多らしいエピソードです。
しゃもじって、どこの家にもある道具です。特別なものではありません。簡単に言うと、誰でも気軽に参加できるという象徴なんです。
実際、どんたくは「見るより参加する祭り」と言われていて、飛び入り参加も大歓迎です。総踊りでは観光客も一緒になって踊れます。私も一度参加したことがありますが、最初は恥ずかしいのですけど、周りがみんな楽しそうだから自然と体が動いてしまいました。
「どんたく」という言葉が「休日」を意味していたことを思い出すと、この市民参加型のスタイルも納得できます。身分も立場も関係なく、みんなで休日を祝い、楽しむこと、それこそが本来の意味だったのじゃないでしょうか。840年の伝統を持ちながら、誰もが参加できる開かれた祭りであり続けている。これが博多どんたくの最大の魅力かもしれません。
意味を知ると祭りはもっと楽しくなる
博多どんたくの「どんたく」は、オランダ語の「休日」が語源です。明治の禁止令を乗り越えて復活する際、新しい名前として採用されました。でも祭りの本質は840年前から変わっていません。三福神が市中を祝って回り、人々が思い思いの仮装で参加します。
戦後の焼け跡から復活した歴史も、この祭りの深さを物語っています。しゃもじを叩いて踊る姿には、身分や立場を超えてみんなで楽しもうという精神が表れているのです。200万人が集まる日本最大級のイベントになった今も、その根底にあるのは「休日をみんなで祝おう」という素朴な喜びです。意味を知ってから見ると、パレードの一つひとつがもっと深く感じられるはずです。

