もつ鍋の由来に隠された意外な事実─博多名物の知られざる歴史

食べる福岡

博多名物として全国に知られるもつ鍋。今では居酒屋の定番メニューとして親しまれていますが、その起源を知る人は意外と少ないかもしれません。実は、もつ鍋が生まれた背景には、戦後の食糧難や炭鉱労働者の厳しい暮らしがありました。捨てられるはずだった食材が、いかにして全国区の人気料理へと変貌したのか。その歴史を辿ると、日本の食文化の豊かさと、人々の工夫と知恵が見えてきます。

もつ鍋の始まりは戦後の炭鉱地帯から

もつ鍋のルーツは、終戦直後の福岡県にあります。当時、福岡には多くの炭鉱があり、過酷な労働に従事する炭鉱労働者たちが大勢いました。彼らが求めたのは、安価でありながら栄養価が高く、体力を回復できる食事。そこで注目されたのが「もつ」だったわけです。

もつ、つまり牛や豚の内臓は、当時「放るもん(捨てるもの)」と呼ばれ、ほとんど価値のない部位とされていました。食肉処理の過程で出る内臓は、臭みがあり見た目も良くないため、多くが廃棄されていたんですね。

でも、食べるものに困っていた時代、この捨てられる部位に目をつけた人たちがいました。朝鮮半島から来て炭鉱で働いていた労働者たちが、故郷で食べていたホルモン料理の調理法を応用し、アルミ鍋でもつとニラを醤油味で煮込んで食べ始めたのが、もつ鍋の原型だと言われています。安くて栄養豊富、しかも体が温まる。炭鉱という過酷な現場で働く人々にとって、まさに理想的な料理でした。正直、当時の人々がこれほど工夫を凝らして食材を活かしていたことには、驚かされます。

博多名物になるまでの道のり

1960年代に入ると、もつ鍋は少しずつ形を変えていきます。ごま油で唐辛子を炒め、もつとネギを入れて醤油ベースで味付けする「すき焼き風」のスタイルが登場しました。この頃はまだスープがたっぷり入った鍋ではなく、どちらかといえば炒め煮に近い料理だったようです。

そして大きな転機が訪れたのは、ある常連客の一言からでした。「最後にちゃんぽん麺を入れて食べてみたい」──この提案が、もつ鍋を大きく変えることになります。もつとニラの旨味が溶け出した汁を吸ったちゃんぽん麺が、予想以上に美味しかったんでしょう。ここから「締めの麺」という文化が生まれ、もつ鍋はボリューム満点の一品へと進化しました。

1970年代には、キャベツが具材に加わります。当時、キャベツの生産量が急激に増え、価格も手頃になったことが背景にあったようです。こうして「もつ、ニラ、キャベツ、醤油ベースのスープ、ちゃんぽん麺」という、現在私たちが知るもつ鍋のスタイルが確立されていきました。

ちなみに、味噌味のもつ鍋が登場したのもこの頃です。醤油と味噌、二つの味が楽しめるようになったことで、もつ鍋の人気はさらに高まりました。福岡市内には専門店も次々とオープンし、博多を代表する郷土料理としての地位を築いていったのです。

1992年、もつ鍋が全国区になった理由

もつ鍋が全国的に知られるようになったのは、1992年の「第一次もつ鍋ブーム」がきっかけです。バブル崩壊後の不景気な時代、安くてボリュームがあり、お酒にも合うもつ鍋が、東京のサラリーマンを中心に大ヒットしました。この年、「もつ鍋」は新語・流行語大賞の銅賞を受賞するほどの社会現象となったのです。

東京をはじめ全国各地にもつ鍋店が乱立し、福岡出身でない経営者も次々と参入しました。ただ、急激な拡大には問題もあったんです。新鮮なもつを都心部に運ぶ流通が未発達だったため、品質の悪いもつを使う店も少なくありませんでした。臭みが強かったり、下処理が不十分だったり。結果として、ブームは数年で沈静化してしまいました。

とはいえ、もつ鍋の物語はここで終わりません。2000年代半ばに「第二次もつ鍋ブーム」が到来します。今度は女性層がターゲットでした。もつにはコラーゲンやビタミンが豊富で、しかも低カロリー。野菜もたっぷり摂れるため、美容と健康に良いと注目されたんですね。

意外と知られていませんが、この頃から冷凍技術の進化により、通販でも本格的なもつ鍋が楽しめるようになったことも大きな変化でした。以前は「おじさんが居酒屋で食べるもの」というイメージが強かったもつ鍋が、女子会や家族の食卓にも登場するようになりました。この変化は、もつ鍋が一過性のブームではなく、定番料理として定着したことを示しています。

もつ鍋の魅力は「もったいない精神」にあり

もつ鍋の歴史を振り返ると、一貫して流れているのは「もったいない」という精神です。捨てられるはずだった部位を工夫して美味しく食べる。限られた食材を最大限に活かす。そうした知恵と努力が、今日のもつ鍋を生み出しました。

現代では、もつは高級食材とまではいかないものの、決して「捨てる部位」ではありません。専門店では国産牛のもつにこだわり、丁寧な下処理を施して提供されます。スープも、鰹や昆布、鶏ガラなどで取った出汁に醤油や味噌を加え、深い味わいに仕上げられているんです。トマト味やカレー味など、バリエーションも豊富になりました。

もつ鍋は、日本人の食文化における「無駄にしない心」の象徴とも言えるかもしれません。貧しい時代に生まれた料理が、時代とともに進化し、今では多くの人に愛される存在になっている。そこには、食材を大切にする姿勢と、美味しさを追求し続ける情熱があるんですね。

あなたが次にもつ鍋を食べるとき、その一杯に込められた歴史と人々の知恵に思いを馳せてみるのも良いのではないでしょうか。きっと、いつもより味わい深く感じられるはずです。

もつ鍋は時代を映す食文化の結晶

もつ鍋は、戦後の食糧難という厳しい時代に、捨てられる部位を工夫して生み出された料理です。炭鉱労働者たちの知恵から始まり、博多の郷土料理として育ち、やがて全国に広まりました。二度のブームを経て、今では家庭でも楽しまれる定番料理となっています。

その歴史には、日本人の「もったいない精神」と、限られた資源を最大限に活かす創意工夫が詰まっています。もつ鍋を食べるとき、その背景にある物語を知ることで、一層美味しく感じられるのではないでしょうか。食文化とは、単なる味だけでなく、時代や人々の暮らしが反映された、生きた歴史なのですから。

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