寒い季節になると、無性に食べたくなる水炊き。博多の郷土料理として知られていますが、実はそのルーツを辿ると、意外な場所や文化に行き着くんです。長崎、中国、それから西洋料理の影響まで。今回は水炊きの歴史を紐解きながら、なぜこの料理が博多で愛され続けているのか、その背景を探ってみました。知れば知るほど、次に水炊きを食べるときの味わいが変わるかもしれません。
水炊きは博多生まれ、とは言い切れない複雑な歴史
水炊きといえば「博多の郷土料理」というイメージが強いですよね。実際、福岡を訪れた観光客の多くが水炊き専門店に足を運びますし、地元の人たちも日常的に食べている。ただ、この料理の起源を調べていくと、実は博多だけで完結する話ではないことが分かってきます。
最も古い記録として残っているのは、江戸時代初期の1643年に書かれた『料理物語』という料理書。ここに「南蠻料理・鶏の水たき」という名前で、長崎の家庭料理が紹介されているんです。当時の長崎は、日本で唯一西洋との窓口だった場所。だから「南蠻料理」という名前が付いているわけです。
ただ、この頃の水炊きは、今私たちが食べているものとはちょっと違っていて、鶏を丸ごと大根と煮込んで、味噌やニンニクで味付けするスタイルだったそうです。
一方で、明治時代に入ると、また違った水炊きの誕生秘話が登場します。長崎出身の林田平三郎という人物が、香港で西洋料理を学び、コンソメスープと中国の鶏料理を組み合わせて新しい鍋料理を作ったという説。彼が1905年に福岡で開いた「水月」というお店が、博多水炊き発祥の店として今も営業しています。
正直なところ、どの説が「正解」なのかは断定できません。とはいえ、それがかえって面白いんです。複数のルーツが絡み合って、博多という土地で独自の形に進化していった。それが水炊きという料理の本当の歴史なのかもしれません。
白濁したスープの秘密──中国料理との意外なつながり
水炊きの最大の特徴といえば、あの乳白色に濁ったスープですよね。鶏の旨味が凝縮されていて、最初にスープだけを味わうのが博多流の食べ方。あのスープ、実は中国の広東料理にルーツがあるんです。
広東料理には「老火湯(ラオフォータン)」という、長時間煮込んで作るスープがあります。鶏ガラや豚骨をじっくり煮込むことで、白く濁った栄養満点のスープができる。この技法が、長崎経由で日本に入ってきて、博多の食文化と融合したと考えられています。長崎は江戸時代から中国との貿易が盛んでしたから、食の技術も自然と流入していたわけです。
ちなみに、中国には「白切鶏(バイチェージー)」という、鶏を茹でてそのスープを活用する料理もあります。素材の味を大切にするという点で、水炊きと共通していますよね。
面白いのは、水炊きが単なる中国料理の模倣ではなく、博多独自の進化を遂げている点です。たとえば、博多の水炊きではキャベツを使うことが多いんですが、これは白菜よりも水分が少なくて、煮詰まってもスープが薄まらないから。こういう工夫が積み重なって、今の水炊きの形ができあがったんでしょう。
西洋のコンソメスープとの共通点も指摘されています。フランス料理では、長時間かけて丁寧に出汁を取ることを重視しますよね。林田平三郎が香港で西洋料理を学んだとき、このコンソメの技法にも触れたはず。東洋と西洋、両方のエッセンスが混ざり合って生まれた料理──それが水炊きなのかもしれません。
博多という土地で根付いた理由
水炊きのルーツが長崎や中国、西洋にあるとして、じゃあなぜ博多でここまで愛される料理になったんでしょうか。
まず、博多という土地柄が大きく関係しています。古くから貿易港として栄えた博多は、外国の文化を柔軟に取り入れる気質がありました。うどんや饅頭も、もともとは中国から伝わったものを博多が独自にアレンジして広めたという歴史があります。水炊きも同じ流れで、外から入ってきた技法を博多の人たちが自分たちの味に作り変えていったんです。
それと、博多の「酒飲み文化」も見逃せません。博多の人たちは昔から宴会好きで知られていて、鍋料理は酒の席に欠かせないものでした。水炊きのようにシンプルで、素材の味を楽しめる料理は、日本酒との相性も抜群。酒を飲みながらゆっくり鍋をつつく──そんなスタイルが博多の人たちにぴったりだったんでしょう。
次に、鶏肉が手に入りやすかったという実際的な理由もあります。明治時代に鉄道が整備されると、九州各地から新鮮な鶏が博多に集まるようになりました。良質な食材が豊富にあったからこそ、鶏をメインにした料理が発展したわけです。
あと、これは個人的な推測ですが、博多の気候も関係しているかもしれません。冬でも比較的温暖な博多では、味噌や醤油で濃く味付けした鍋よりも、あっさりした水炊きのほうが好まれたのかもしれない。実際、博多の水炊きは他の地域の鍋に比べて、さっぱりしていますよね。
関西の水炊きとの違い──同じ名前でも別の料理?
実は「水炊き」という名前の鍋料理は、関西地方にも昔からあるんです。ただ、博多の水炊きとはかなり違う。
関西の水炊きは、水を張った鍋に昆布を敷いて、鶏肉や豚肉、野菜を煮るというシンプルなもの。湯豆腐に近いイメージで、鍋自体には味をつけず、ポン酢で食べるスタイルです。スープを味わうというより、具材そのものの味を楽しむ料理なんですね。
逆に、博多の水炊きは「スープが主役」。鶏ガラや骨付き鶏肉を何時間も煮込んで、白濁したスープを作る。最初にこのスープを味わってから、具材を楽しむという独特の食べ方があります。同じ「水炊き」という名前でも、コンセプトがまったく違うわけです。
締めの食べ方も違います。関西では雑炊にすることが多いのに対して、博多ではちゃんぽん麺を入れる「地獄炊き」という食べ方もあります。これ、初めて聞いたときは「なんで地獄?」と思いましたが、麺が鍋底に沈んで見えなくなるからだとか。余談ですが、この呼び方は結構博多らしいユーモアだなと感じています。
どちらが正しいということではなく、それぞれの土地で独自の発展を遂げた結果なんでしょう。ただ、現代では「水炊き」といえば博多風を指すことが多くなっています。老舗の水炊き専門店が博多にたくさんあることや、観光地としての博多の知名度が影響しているのかもしれません。
「特別な料理」になった背景
今でこそ家庭でも気軽に作れる水炊きですが、もともとは料亭や専門店で食べる「ちょっと特別な料理」でした。その背景には、スープ作りの手間があります。
本格的な水炊きのスープは、鶏ガラを何時間も煮込んで作ります。アクをこまめに取りながら、火加減を調整して、白濁するまで煮続ける。これ、相当な時間と手間がかかるんです。だから、家庭で作るのはなかなか難しく、専門店で食べるものという位置づけだったわけです。
明治時代から昭和初期にかけて、博多には多くの料亭がありました。そこで接待や宴会の料理として水炊きが振る舞われるようになり、「特別な日に食べる料理」というイメージが定着していったんでしょう。それでも、やっぱり専門店の味には特別感があります。創業100年を超える老舗が今も営業していて、変わらぬ味を守り続けている。その伝統と技術に、私たちは惹かれるのかもしれません。
とはいえ、時代が進むにつれて、家庭でも手軽に楽しめるようになりました。市販の鶏ガラスープの素が普及したり、圧力鍋が登場したりして、スープ作りのハードルが下がったんです。
あ、そういえば、博多祇園山笠という祭りでも、水炊きは欠かせない料理だそうです。祭りの後の「直会(なおらい)」という食事会では、必ず水炊きが出る。山笠を担いだ男衆が体力をつけるために鶏肉を食べていたことが、その由来だとか。水炊きは単なる料理ではなく、博多の文化そのものなんですね。
水炊きの歴史を知れば、味わいも深まる
水炊きの歴史を辿ってみると、江戸時代の長崎、明治時代の香港、そして中国や西洋の料理技法まで、さまざまなルーツが見えてきました。それらが博多という土地で独自に融合し、今私たちが愛する水炊きになった。シンプルな鍋料理に見えて、実は多くの文化が交差した結果生まれた料理だったんです。
次に水炊きを食べるときは、ぜひこの歴史を思い出してみてください。白濁したスープには中国料理の技法が、あっさりした味わいには博多の気候や文化が、そしてスープを最初に味わうスタイルには料亭文化の名残が。きっと、いつもとは違う味わい方ができるはずです。歴史を知ることで、料理はもっと美味しくなる──水炊きはそれを教えてくれる一品だと思います。

