福岡という地名、実は岡山県に由来するって知っていましたか? 福岡城を築いた黒田長政が故郷の地名を持ち込んだという歴史があります。それと「福岡」と「博多」の使い分けで起きた125年前の大論争、読めない難読地名の数々…。福岡に住んでいても意外と知らない地名の由来を辿ると、この街の歴史がぐっと身近に感じられるはずです。
「福岡」のルーツは実は岡山県にあった
福岡市民でも意外と知られていないのが、「福岡」という地名の本当の由来なんです。
慶長6年(1601年)、関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍に貢献した黒田長政は、筑前国を与えられ入国しました。当初は前領主の名島城を居城としていましたが、城下が手狭だったため、7年の歳月をかけて現在の福岡市中央区に新しい城を築きます。
完成した城の名前を決める際、長政は黒田家ゆかりの地である備前国邑久郡福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の名前をそのまま取って「福岡城」と名付けました。黒田家の祖先が住んでいた土地への敬意を込めて、という説が有力です。
正直、福岡が岡山の地名に由来していると聞いたときは驚きました。岡山県にも「福岡」という地名が今も残っていて、JR福岡駅まであるんです(富山県高岡市にもありますが)。外国人観光客が間違えて富山の福岡駅まで行ってしまうトラブルもあるとか…。こんな地名の混乱、他にもありそうですよね。
ちなみに、この岡山の福岡は古くから製鉄が盛んな地域で、「福」という字は鉄を「吹く」ことに由来するという説もあります。火を吹いて鉄を精錬する様子から「吹く→福」と当て字されたのではないか、と。歴史の深さを感じます。
市名をめぐって起きた「福岡vs博多」の大論争
さて、福岡城の城下町として「福岡」が誕生したわけですが、那珂川の東側には中世から「博多」という商人の町がありました。武士の町「福岡」と商人の町「博多」。那珂川を挟んで双子都市として発展していたんですね。
問題が起きたのは明治23年(1890年)2月のこと。市制施行にあたって「市名を福岡にするか、博多にするか」で市議会が大紛糾したんです。当時の人口は博多地域が25,677人、福岡地域が20,410人。議員数も博多派17名、福岡派13名で、博多がやや優勢でした。
ところが決定的な日に博多派の議員3名が欠席(トイレに軟禁されたという説も!)し、13対13の同数に。最終的には旧福岡藩士だった議長が議長席を降りて1議員として「福岡」に投票し、14対13で福岡市に決定しました。まさにドラマのような展開です。
博多派は市名を譲った代わりに、開通したばかりの鉄道の駅名を「博多」にすることで決着。だから福岡市なのに主要駅が「博多駅」という、他県の人には分かりにくい状況が今も続いているわけです。あ、そういえば福岡空港の正式名称も「福岡空港」ですが、滑走路の端は博多区にあるんですよね。福岡と博多の綱引きは今も続いているような気がします。
天神の由来は「天神様」こと菅原道真
福岡を代表する繁華街「天神」の地名も、意外と知らない人が多いかもしれません。
天神の地名は水鏡天満宮に由来します。生前の菅原道真が博多を訪れた際、薬院新川(旧四十川)の水面に映る自分のやつれた姿を見て嘆き悲しんだという伝承があり、その場所に社殿が建てられました。別名「容見天神」とも呼ばれています。
江戸時代初期の慶長17年(1612年)に、福岡藩初代藩主の黒田長政が福岡城の鬼門にあたる現在の天神1丁目に移しました。菅原道真は死後「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」という神格で祀られ、「天神様」と呼ばれるようになります。この「天神様」の異名が福岡天神の地名の由来になったわけです。
太宰府天満宮に菅原道真が祀られているのは有名ですが、天神にも深い縁があったんですね。今でこそビルが立ち並ぶ大都会ですが、昔は田んぼばかりだったという天神。水鏡天満宮は今もオフィスビルの間にひっそりと佇んでいて、歴史の面影を残しています。買い物ついでに立ち寄ってみると、また違った天神の顔が見えてくるかもしれません。
読めますか? 福岡の難読地名いろいろ
福岡には初見では絶対読めない地名がたくさんあります。県外の人はもちろん、福岡県民でも「え、そう読むの?」というものが多いんですよね。
代表格は大野城市・福岡市博多区にまたがる「雑餉隈(ざっしょのくま)」でしょう。西鉄の駅名にもなっていますが、全国随一の難読地名として有名です。「雑餉」とは人をもてなす食や酒、贈り物のこと。太宰府へ向かう人々をもてなす店が多く連なっていたことが由来と言われています。
福岡市城南区の「別府」は「べふ」と読みます。大分の別府温泉と同じ漢字なのに読み方が違うんです。でも由来は同じで、どちらも功績のあった役人に与えられた「別勅符田(べっちょくふでん)」に由来するそう。
ちなみに全国に約300ヶ所も「別府」という地名があって、それぞれ「べふ」「べっぷ」「びゅう」などと読まれているのが面白いですね。糸島市の「前原(まえばる)」も「まえはら」と読みそうになりますし、早良区の「野芥(のけ)」は地下鉄駅名になっているので福岡市民は読めますが、県外の人には難しいでしょう。朝倉市の「中寒水(なかそうず)」なんて、簡単な漢字なのに全く読めない典型例。
飯塚市の「目尾(しゃかのお)」も面白い。律令時代の地方役人「目(さかん)」が住んでいた地域に由来するそうですが、どうやって「しゃかのお」という読みになったのか…歴史の謎は尽きません。
赤坂の名前は「赤い土」から生まれた
読売新聞西部本社がある福岡市中央区赤坂。「赤坂」という地名は全国各地にありますが、福岡の赤坂はどこから来たのでしょう。
福岡城の南側には赤土の丘陵地帯「赤坂山」があり、山へと近づいていく辺りを「赤坂」と呼んでいたそうです。1812年(文化9年)の城下図には「赤坂口」の名前が見えます。西鉄バスの停留所には「赤坂門」という名前が残っていますが、門の遺構は見当たりません。これは福岡城の防御設備だった水堀の東側にあった「赤坂御門」に由来しています。
黒田長政は城づくりの名人で、博多湾を外堀に見立て、那珂川支流の薬院新川から水を引いて城の周囲に内堀をめぐらせました。各所に水門を設けて番所にもしていたんですね。今は堀の遺構もほとんど残っていませんが、地名にその痕跡が刻まれています。
歴史を知って街を歩くと、何気ない風景がまったく違って見えてくるから不思議です。個人的には、こうした発見が街歩きの楽しみの一つだと感じています。ちなみに赤坂エリアは、意外なところで堀の石垣の一部が残っていたりします。散策しながら探してみるのも楽しいかもしれませんね。
地名から読み解く福岡の深い歴史
福岡の地名を辿ると、黒田家の足跡や福岡と博多の綱引き、古代からの製鉄文化など、この街の多層的な歴史が見えてきます。岡山由来の「福岡」、125年前の市名論争、読めない難読地名、天神や赤坂の由来…どれも福岡という街の個性を形づくる大切なピースです。普段何気なく使っている地名にも、それぞれにドラマがあるんですね。次に福岡の街を歩くときは、ちょっと地名に注目してみてください。きっと新しい発見があるはずです。

